19世紀初頭、カトリック教会が強い影響力をもつスペインでは、裸体画は背徳的で、描いてはいけないテーマでした。
裸体画は、イヴやヴィーナスでなければならかったのですが、ゴヤは一人の女性像としてこの作品を描きました。
生身の女性の裸体を描いた本作品はスキャンダルとなり、後年、ゴヤも異端審問にかけられています。
マハとは?
マハとは、人名ではなく「小粋な女」「いなせな女」などの意味です。
モデルは、ゴヤの愛人や注文主の愛人など諸説ありますが謎のままです。
「裸のマハ」
(1797-1800年頃)
ヴィーナスを描いた裸体画は、手を下腹部に添えるポーズをとっていますが、ゴヤはそうした伝統からも逸脱し、頭の後ろで手を組む挑戦的なポーズで描いています。
「ウルビーノのヴィーナス」
(1538年頃)
着衣のマハ
ゴヤは、同じ構図で「着衣のマハ」も描いています。
「裸のマハ」を描いた直後、着衣バージョンを描いているためスキャンダルとなった「裸のマハ」を普段は隠しておくために制作されたものと考えれています。
「着衣のマハ」
(1800-1805年頃)
裸と着衣バージョンで描き分け
裸のマハと着衣のマハでは、タッチの違いが見られます。
着衣バージョンはきちんと化粧がなされ髪も整えられていますが、裸バージョンは髪は乱れ、上気した頬、挑発するような視線で描かれています。
整えられたシースと乱れたシーツに描き分けられており時間の経過が感じられ、見る者の想像を掻き立てます。
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