「裸のマハ」 フランシスコ・デ・ゴヤ

絵画

19世紀初頭、カトリック教会が強い影響力をもつスペインでは、裸体画は背徳的で、描いてはいけないテーマでした。

裸体画は、イヴやヴィーナスでなければならかったのですが、ゴヤは一人の女性像としてこの作品を描きました。

生身の女性の裸体を描いた本作品はスキャンダルとなり、後年、ゴヤも異端審問にかけられています。

マハとは?

マハとは、人名ではなく「小粋な女」「いなせな女」などの意味です。

モデルは、ゴヤの愛人や注文主の愛人など諸説ありますが謎のままです。

裸のマハ
(1797-1800年頃)

1797-1800年頃
フランシスコ・デ・ゴヤ
「裸のマハ」
プラド美術館蔵(スペイン マドリード)

ヴィーナスを描いた裸体画は、手を下腹部に添えるポーズをとっていますが、ゴヤはそうした伝統からも逸脱し、頭の後ろで手を組む挑戦的なポーズで描いています。

ウルビーノのヴィーナス
(1538年頃)

1538年頃
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
「ウルビーノのヴィーナス」
ウフィツィ美術館蔵(イタリア フィレンツェ)

着衣のマハ

ゴヤは、同じ構図で「着衣のマハ」も描いています。

裸のマハ」を描いた直後、着衣バージョンを描いているためスキャンダルとなった「裸のマハ」を普段は隠しておくために制作されたものと考えれています。

着衣のマハ
(1800-1805頃)

1800-1805年頃
フランシスコ・デ・ゴヤ
「着衣のマハ」
プラド美術館蔵(スペイン マドリード)

裸と着衣バージョンで描き分け

裸のマハ着衣のマハでは、タッチの違いが見られます。

着衣バージョンはきちんと化粧がなされ髪も整えられていますが、裸バージョンは髪は乱れ、上気した頬、挑発するような視線で描かれています。

整えられたシースと乱れたシーツに描き分けられており時間の経過が感じられ、見る者の想像を掻き立てます。

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