エドガー・ドが 「青い踊り子たち」

絵画

印象派創設に関わるとともに自身は写実主義として印象派とは違った作風で、特に当時の踊り子たちを多く描いたエドガー・ドガの晩年の作品「青い踊り子たち」です。

ドガは普仏戦争に従軍した際に目を患ってしまった為、印象派の特徴のひとつである屋外ので作品制作ができなかったことも印象派とは違う画風となった一因ともされます。

晩年、ドガは目の病から徐々に視力を失ってしまいますが、本作品「青い踊り子たち」は視力がほぼ失いかけていた時期に制作された作品となります。

作品 青い踊り子たち

本作品は、エドガー・ドガが視力を失いかけていた晩年に制作された作品です。

ほとんど視力が無い状態のドガは、過去に描いた踊り子たちの記憶を頼りに描いたと言われます。

1890年頃
エドガー・ドガ
「青い踊り子たち」
オルセー美術館蔵(フランス パリ)

視力を失いかけていた晩年のドガは、以前の作風からは大きく作風を変えています。

対象物の輪郭は、依然ははっきりと描いていたものの、晩年となり輪郭はあいまになっています。

ドガが40歳前後の作品)「ダンス教室(バレエ教室)
1873‐1875年

1873‐1875年
エドガー・ドガ
「ダンス教室(バレエ教室)」
オルセー美術館蔵(フランス パリ) 

また、踊り子のドレスの色も鮮やかな色彩で描く事が多くなり本作品も明るい青色で描写しています。

視力が弱り筆先がほとんど見えず、色彩の判別も難しくなっていたためだと思われます。

また、本作品の背景の多様な色の点は、ドガが指先で描いたものです。

本作品には四人の青いドレスの踊り子が描かれていますが、ドガは同じ一人の踊り子の連続した動きをストップモーションのように一つの画面に描いたと言われています。

当時は、連続撮影できるカメラが発明され、連続する動きをストップモーションのように判別できるようになっており、ドガも記憶を頼りに一人の踊り子の連続する動きを描いたのかもしれません。

画面右手に壁を描いて、覗き込んでいるような効果を与えている構成は日本の浮世絵の影響による画面構成と考えられ、浮世絵の愛好家であったドガは、度々このような画面構成を行っています。

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