バッロク美術の確立に大きな影響を与えたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオの作品で犯罪で逃亡中のマルタで描いた作品です。
カラヴァッジョはローマで人を殺めてしまい、ローマを逃亡しナポリで作品を制作しながら数か月過ごし、その後マルタ騎士団の庇護を求めマルタへ移りました。
マルタ騎士団側もローマやナポリで既に有名な画家となっていたカラヴァッジョを騎士団の公式画家とすることは利益になると考えカラヴァッジョを受け入れました。
本作品は当時のマルタ騎士団の団長アロフ・ド・ヴィニャクールと小姓を描いた作品です。
作品 アロフ・ド・ヴィニャクールと小姓の肖像
当時のマルタ騎士団はマルタを拠点に大きな勢力をもっており、その軍事力から指名手配されていたカラヴァッジョは庇護を求めマルタへ移ったと思われます。
カラヴァッジョはマルタ到着後、直ぐにマルタ騎士団の主要な騎士達を描いたようです。
「アロフ・ド・ヴィニャクールと小姓の肖像」
(1607-1608年)
ヴィニャクールは当時60歳で1601年から団長を務めており小姓たちを高貴なカトリック教の貴族から集めて権勢を示していたようです。
作品中のヴィニャクールは顔を斜め上に向けて黄金の鎧に身を包み、手には黄金に輝く指揮棒を持っており、当時のマルタ騎士団の権勢と軍事力を表していると考えられます。
一方でヴィニャクールの横で兜を手にもつ小姓は子供っぽい表情で鑑賞者に視線を向けて親近感を与えています。
小姓の方が背景が明るく、どちらかというと小姓が主役なような印象を受けます。
カラヴァッジョは二人を目の前にして作品を制作しておらず、二人の配置はぎこちなくなっています。
兜を持つ小姓の手がヴィニャクールの左手の肘の前に描かれているようですが、小姓の足はヴィニャクールと並列に描かれ、ヴィニャクールの後方にいるようにも見えます。
権力者と小姓が同時に肖像画として描かれることは珍しく、カラヴァッジョはティツィアーノの「部隊に訓示するアルフォンソ・ダバロス」に着想を得たとも言われています。
「部隊に訓示するアルフォンソ・ダバロス」
(1540年頃)
マルタに騎士団の庇護を求めたカラヴァッジョですが、マルタで喧嘩沙汰を起こしてしまい、騎士の一人に重傷を負わせてしまい騎士団を除名され投獄されていまいます。
カラヴァッジョは、脱獄しその後シチリアに逃亡しています。
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