印象派の画家たちが活躍しだしていたなか、アカディミックな画風を守り、指導者としても多くの画家を育てたジャン=レオン・ジェロームの作品です。
ジェロームは東方の文化に魅了されトルコやエジプトを度々訪れ、中東の風景や人々の様子を作品として多く制作しました。
本作品「アルメの踊り」もそのような作品のなかの一つで、踊り子(アルメ)が踊りを傭兵たちへ披露している様子が描かれています。
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引用:Wikipedia
アルメの踊り
「アルメの踊り」
(1863年)
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ジャン=レオン・ジェローム
「アルメの踊り」
デイトン美術館蔵(アメリカ デイトン)
中央で踊り子(アルメ)が踊り、傭兵たちが見ています。傭兵の反対側には踊りの伴奏を演奏している者たちが描かれてます。
アルメ
当初、アルメとは「学識のある女性」という意味があるアラビア語でハーレムの特権階級の女性のことを指していたようで、男性は見ることを許されない女性たちでした。
しかし、時代か経つにつれ踊り子を意味するようになり、言外に娼婦の意味を含むようになったようです。
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傭兵達
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独特の身なり兵士たちは、オスマン帝国の傭兵達で、バシ=バズークと呼ばれた非正規軍の兵士たちと言われています。
オスマン帝国は兵力としてイスラム商人から黒人奴隷を買い入れ、非正規軍として最前線に送り込んでいました。
使い捨ての感覚で雇われた兵士たちに規律はなく、悪名高い軍隊であったと言われています。
ジェロームは、バシ=バズークを作品として制作もしています。
「バシ=バズーク」
(1868-1869年)
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ジャン=レオン・ジェローム
「バシ=バズーク」
メトロポリタン美術館蔵(アメリカ ニューヨーク)
演奏者たち
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演奏者たちの楽器と服装は質素なもので、部屋の奥、窓から遠い位置にいることもあり全体的に暗く描かれており、脇役的な役割を作品でも持たされています。
窓と室内
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左にある唯一の窓は、兵士達に塞がれているように見えます。
壁には多くの武器が掛けられており、踊り子(アルメ)と演奏者たちが抑圧されているようにも見ることが出来ます。
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