印象派の女流画家でエドゥアール・マネの弟子でもあるベルト・モリゾが自身の母親と姉を描いた作品「モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人」です。
ベルト・モリゾは高級官僚を務める父親と母親はロココ期の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの孫娘という上流階級の生まれで、姉エドマとともに絵画を学び、共に画家を目指しました。
しかし、姉エドマは海軍将校アドルフ・ポンティヨンと結婚し画家の道をあきらめることとなります。
本作品は姉エドマが妊娠し実家に戻ってきている時に描かれた作品です。
作品 モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人
当時の女性の社会的地位は低く、一般的に結婚後は家庭に入ることが求められる時代でした。
共に画家になることを夢見ていた姉が結婚を期に夢をあきらめたことはベルト・モリゾにとっても大きなショックを受けたようです。
「モリゾ夫人とポンティヨン夫人」
(1869-1870年)
黒い服の女性が母親で白の服の女性が姉エドマです。新たな命を身籠った姉を純白の服で描き、黒い服の母親と対比させているようです。
母親が読書している姿から本作品は「読書」と呼ばれる場合もあります。
本作品の主役は姉エドマですが、表情はどこか寂し気で、母親が読む本に視線を向けているようですが、ぼんやりとしているようにも見えます。
結婚により、画家となる夢をあきらめた姉をベルト・モリゾは印象的に描いているように思えます。
姉の表情はうかない様子で描きながら、作品中の日の光は姉に当たって描かれており、子供を身籠った姉を祝福もしているように感じます。
本作品はサロンへ出品前に師匠のマネに見せますが、その際、マネに多くの加筆をされてしまい、ベルト・モリゾはショックを受け、サロンへの出品も取りやめようとします。
最終的にサロンへ出品し、入選を果たしますが、ベルト・モリゾの心はマネから離れ、その後、マネが反対していた印象派展への出品をはじめます。
ベルト・モリゾは、8回の印象派展のうち7回出品しており、印象派の画家の主要メンバーとなります。
また、マネの弟と結婚し、大きな支援を受け結婚、出産後も画家を続け活躍します。
「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘(田舎にて)」
(1881年)
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