19世紀、まだ男性中心の社会で活躍した印象派の女性画家、ベルト・モリゾ。
エドゥアール・マネの多くの作品のモデルを務めたことでも有名です。
マネとの出会い
ベルト・モリゾは、地方行政長官を歴任した父親の娘として、上流階級の家に生まれました。
母親は、「ぶらんこ」で有名なロココ調の代表的な画家 ジャン・オノレ・フラゴナールの姪の孫と言われています。
母親は、娘たちに絵を学ばせようと、絵画教室へ通わせたのをきっかけに、姉のエドマとモリゾは絵画にのめりこんでいきます。
そのうち、姉妹はルーヴル美術館で名画の模写をはじめながら、他の画家たちに出会います。
なかでも大きな出会いとなったのが、後に「印象派の父」とも呼ばれるエドゥアール・マネでした。
ベルト・モリゾの肖像写真
当時、センセーショナルな作品を発表し、話題となっていたマネの画風にモリゾは大きく影響を受けます。
また、同じような家柄で、家も近かった両家は、家族ぐるみでの交流がはじまりました。
マネの作品のモデルを務める
マネは、モリゾに作品のモデルを依頼、モリゾをモデルに多くの作品を制作します。
モリゾは、マネと出会う前に、風景画のコローに師事していたこともあり、風景画でサロン入選を既に果たしていましたが、マネの画風に大きく影響を受けるようになります。
「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」
(1872年)
「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」はマネが描いたモリゾで一番有名な作品となっています。
モリゾはマネの作品のモデルを多く務めたこともあり、二人の恋仲を噂されることもあったようですが、1874年、モリゾはマネの弟と結婚しています。
「バルコニー」
(1868-1869年)
「バルコニー」では左で手すりに肘をかけている女性のモデルがモリゾです。
印象派展に出展
モリゾは、ルーヴル美術館での模写時代やマネのアトリエにモデルとして出入りしている際に、印象派のルノワールやドガなどとも交流をもちます。
マネは、サロンで評価されることを重視し、印象派展に一度も参加しませんでしたが、モリゾはドガの誘いもあり、第一回印象派展に出展、その後、8回開かれた印象派展に7回参加しています。
「ゆりかご」
(1872年)
第一回印象派展の出展作品の「ゆりかご」は、姉とその子を描き、好評を得ました。
モデルは、一緒に画家を志しながら結婚を機に画家を諦めた姉のエドマとその子供です。
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