ポスト印象派(描きたい物を描きたいように描く)/①ゴッホ

絵画

活動当初は、画壇や社会に受け入れてもらえなかった印象派の画家たちも、創作の継続、アメリカ市場での高評価などにより、少しづつ評価を得るようになります。

そして、印象派がムーブメントになるなか、印象派を継承しつつ新たな画家たちが登場してきます。

ポスト印象派とは?

印象派は、日の光の変化や陽光の動きの描写を意識するあまり、

人物や物体の輪郭があやふやになる傾向がありました。

そんななか、印象派の影響を受けつつも、はっきりした色彩、単色の使用、

自分の感情、多角的視点での描写など、自分の独自のスタイルを確立して

作品を創作していった画家たちが登場してきます。

ポスト印象派とは、そんな画家たちの印象派に対する総称です。

その為、画家によって、作品の共通性は薄く、画風も大きく異なります。

ポスト印象派を代表する3人の画家(ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ)の作品

1889年
「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」
フィンセント・ファン・ゴッホ

輪郭がはっきり描かれています。
1891年
「タヒチの女(浜辺にて)」
ポール・ゴーギャン

原色に近い色彩の使用がされています。
1890-1894年
「リンゴの籠のある静物」
ポール・セザンヌ

多角的視点からの描写がされています。

(参考)印象派の代表的作品

1872年「印象・日の出」
クロード・モネ
1876年
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1878年
「舞台の踊り子」
エドガー・ドガ

日本で一番有名な画家/フィンセント・ファン・ゴッホ

おそらく絵画に興味が無い方も名前を聞いたことがあるであろう画家、ゴッホ

日本ではとても有名で人気もあります。そんなゴッホはポスト印象派の画家の一人とされています。

①鮮やかな色彩

初期のゴッホの作品の色彩は暗いものでした。

理由は、彼が作品の対象としていたのが貧しい農民たちとその厳しい生活だったこと。

また、当時、生活していたオランダやベルギーのヨーロッパ北部は日照時間が少ない

天候にあったことにあると思われます。

1885年「ジャガイモを食べる人々」
フィンセント・ファン・ゴッホ
/オランダ在住中の初期の作品

ゴッホは、その後、弟(テオ)を頼って、パリに移動、兄弟で同居を始めます。

彼は、パリで2年間過ごし、その間、印象派の作品や画家、日本の浮世絵に触れます。

1886年「青い花瓶」
色彩が鮮やかになっています。
1887年「ジャポネズリー:雨の橋」
歌川広重「大はし あたけの夕立」の模写

多くの画家や新しい表現方法に会ったゴッホですが、パリでの生活にストレスを感じていた彼は、南仏アルルに移り住みます。
(浮世絵に傾注したいたゴッホは、「日本は太陽が光り輝く国」と思い込んでおり、南仏を選んだと言われています。)

アルルに移り住み、地中海の太陽のもと、彼の色彩感覚は大きく開花します。

ゴッホの作品の色数は、意外にも少ないのですが、補色効果を利用して強い印象を与えています。

1888年「夜のカフェ」

上記、左側の12色相関図の反対側がそれぞれの補色となります。(緑色系-赤色系、黄色系-青色系)

1888年9月、アルルで作成された「夜のカフェ」は、補色効果を使っています。
(ゴッホは、「夜のカフェ」について「僕は赤と緑でもって人間の恐るべき情念を表現しようと努めた」と弟に手紙しています。)

②厚塗りと筆跡

ゴッホの作品と言えば、厚塗りと筆跡が残るタッチが一番印象的かと思います。

パリ時代に、同時代の画家、アドルフ・モンティセリの作品に深い感銘を受け、作風を取り入れたと言われています。

1875年頃「花瓶の花」 アドルフ・モンティセリ

晩年、ゴッホの精神不安定の状況が悪化するとともに、筆跡がうねるような激しさを増します。

まるで、キャンパスに感情がぶつけられているような気がします。

1889年「星月夜」
1889年「2本の糸杉」
1890年「糸杉と星の見える道」

③浮世絵の影響/色彩と構図

ゴッホはパリで、浮世絵に触れてから、その色彩、構図に強く影響を受けいます。

1888年「ファン・ゴッホの寝室」
全体に平面的で原色に近い色使いです。
1890年「花咲くアーモンドの木の枝」
太い枝が中央に描かれ、下から見上げる構図になっています

ゴッホは、パリ時代に美術商から660点の浮世絵を購入していたそうです。

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