イタリア人画家ですが主にパリのモンパルナスで活躍したアンデオ・モディリアーニが当時、結婚を約束して一人目の子供を身ごもった恋人を描いた作品です。
モディリアーニは細長な身体と顔、瞳がない目など特徴的な表現をした作品が有名です。
この表現は当時パリで人気があったアフリカ彫刻の影響と考えられています。
モディリアーニは一時期、彫刻に没頭していた時期があり、民族芸術に影響を受けた作品を制作していました。
作品 黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ
モディリアーニは、恋人ジャンヌ・エビュテルヌをモデルに多くの作品を制作していますがそのうちの一点です。
ジャンヌを描いた作品には瞳を描いた作品もありますが、本作品では描かれていません。
「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」
(1919年)
モディリアーニの表現は実際のジャンヌ・エビュテルヌとはあまり似ていない表現となっています。
モディリアーニが没頭した民族芸術を表現した彫刻、特に当時流行していたアフリカ彫刻の影響によるものと考えられています。
ジャンヌ・エビュテルヌ
本作品のモデルはモディリアーニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌです。ジャンヌは内気で無口で繊細な女性だったようで、長時間同じぽーずをとらされるモデルをモディリアーニのために努めたようです。
彼女も画家を志していたことからいくつか作品をのこしています。「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」と同時期にジャンヌは「モディリアーニの肖像」を制作しています。
「モディリアーニの肖像」
(1919年)
モディリアーニは結核を患っているうえ、アルコールと薬物への依存により体力は衰え、体力不足で彫刻をあきらめるほどでした。
「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」を制作したころはかなり衰弱していたようです。
1920年にモディリアーニは亡くなります。当時、ジャンヌは二人目の子供を身ごもっていましたが、モディリアーニの死の2日後に子供を道連れに集合住宅の5階から身を投げてしまいます。
残された一人目の子供はモディリアーニの妹の養女として育てられ、成長した後、両親のことを調査、モディリアーニについて評伝をのこしています。
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