印象派の代表的画家クロード・モネが自身の妻カミーユに日本の着物を着せて描いた作品です。
当時、ヨーロッパで流行していたジャポニズムの影響を受けた作品としてとても有名です。
また、モネは日本の浮世絵を231点所有しておりフランスでのジャポニズム流行にも大きな役割を担ったと言われています。
しかし、モネの過去の作品「緑衣の女」の対の作品ということはあまり知られていないようです。
ラ・ジャポネーズ
「ラ・ジャポネーズ」
(1876年)
モネは本作品を印象派展に出品、注目されます。また、作品は後に高値で落札されています。
モネの妻カミーユの髪は実際は褐色だっため、金髪のカツラをかぶせています。
作品の中央に描かれている着物の刺繍の侍とカミーユの金髪がコントラストをなしていると言われています。
また、手にもつ扇子は赤、白、青の三色でフランスの国旗を表現しています。
日本を象徴するアイテムを描きながら、自身のアイデンティティも表現しているようです。
緑衣の女
モネは、「ラ・ジャポネーズ」が高い値で落札されたことを聞かさえると、作品制作の経緯として10年前の作品「緑衣の女」の対の作品であると証言しています。
「緑衣の女」
(1866年)
モデルは、「ラ・ジャポネーズ」と同様、カミーユですがモネとの結婚前でした。
モネは、「緑衣の女」がサロンで高い評価を受けた後、日本の着物を見る機会があり、対の作品として「ラ・ジャポネーズ」を描いたと証言しています。
当初、モネは、先輩画家でありよく知るエドゥアール・マネの「草上の昼食」に影響を受け、同じ画題の「草上の昼食」をサロンに出品しようとしていました。
しかし、モネの「草上の昼食」は縦4.6m 横6mにも及ぶ大作で出品に間に合わず、この「緑衣の女」を4日間で作成、サロンへ出品しました。
「草上の昼食」(中央部分)
(1865-1866年)
サロンへの出品を諦めたモネの「草上の昼食」は、モネ自身で2つに分割したため中央部分と左部分となっています。
「草上の昼食」(左側部分)
(1865-1866年)
エドゥアール・マネの「草上の昼食」
(1863年)
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