印象派の巨匠、ピエール=オーギュスト・ルノワールは、多くの少女の肖像画を描いています。
その中でも数奇な経緯をたどった作品として有名なのが本作品の「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」です。
「可愛いイレーヌ」とも呼ばれています。
ルノワールの少女の肖像画のなかでも最も美しいとも言われている肖像画です。
注文者
この作品の注文者は、パリのユダヤ人銀行家のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵という貴族で、娘3人の肖像画をルノワールに注文しました。
当時、ルノワールは、4年前に制作した「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」で既に一定の評価を得ていましたが、作品はあまり売れていませんでした。
その後、「シャルパンティエ夫人とその子供たち」をサロンに出展、称賛を受けたことにより、作品の注文が来るようになったようです。
「シェルパンティエ夫人とその子供たち」
(1878-1879年)
シャルパンティエ夫人とは、ルノワールの支援者の出版事業者ジョルジュ・シャルパンティエ夫人で、パリ社交界で有名だったようです。
サロン出展もシャルパルティエの勧めで出展したようです。
注文主には気に入られなかった
ルノワールは、当時8歳だったイレーヌを伯爵家の庭で描きました。
イレーヌの肖像画は、その年のサロンに出展され好評を博し、入選しています。
しかし、保守的なダンヴェール伯爵は、重厚な王侯貴族のような肖像画を望んでいたようで、印象派の画風は好まなかったようです。
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
(1880年)
当初、両親は、娘3人それぞれの肖像画を注文していたようですが、二女と三女は2人まとめて一枚の肖像画とされ、支払われる代金も当初より少ないものとなりました。
「ダンヴェール家のアリスとエリザベス」
(1881年)
この肖像画は「ピンクとブルー」とも呼ばれています。
作品のたっどた数奇な運命
イレーヌの肖像画は、その後、イレーヌの長女ベアトリスが所有していました。
しかし、第二次世界大戦が勃発しナチス・ドイツによるヨーロッパ中の美術品の略奪が行われ、ナチス・ドイツの占領下のパリでも多くの美術品が奪われます。
本作品も、その奪われた美術品の一つとしてベルリンで保管されます。
所有者のベアトリスはユダヤ人の夫と子供とともにユダヤ人強制収容所に送られ、その後、家族が戻ることはありませんでした。
終戦後、1946年、イレーヌの肖像画は奇跡的に発見され、74歳のイレーヌ本人に返却されます。
イレーヌは自身の肖像画を、印象派作品のコレクターで武器商人のエミール・ゲオルク・ビュールレに競売で売却してしまいます。
ビュールレは、スイスに帰化したドイツ人で、ナチス・ドイツなどに世界中に武器を売って巨万の富を築いた人物です。
ビュールレのコレクションは、ビュールレ死後、遺族が財団を設立し邸宅を改装、美術館として展示します。
しかし、2008年に4枚の絵画が盗難に会ってしまい、警備の問題などからビュールレのコレクションはチューリッヒ美術館へ移管されています。
移管前に東京の国立美術館でビュールレ・コレクション展が2018年に開催されています。
コメント