フランス 写実主義の代表的な画家ギュスターヴ・クールベの大作「オルナンの埋葬」です。
クールベは、自身の作品だけを展示した「個展」を世界で初めて開催した画家としても有名です。
オルレアンの埋葬
この作品のサイズは、縦3.15m、横6.68mを超える横長の大画面の作品です。
当時、このような大画面には、宗教画や歴史上の英雄が描かれるのが一般的でしたが、クールベは、故郷のオルナンで行われた大叔父の埋葬の様子をありのままに大画面に描きました。
「オルナンの埋葬」
(1849-1850年)
1850年 クールベはこの「オルナンの埋葬」をサロンに出品しますが、一般人の日常の出来事を大画面に描いたことで批評家などから大きな批判を浴びてしまいます。
サロンでの多くの批判を多く受けたこともあり、1855年 世界で2番目の万国博覧会がパリで開かれ、クールベは「オルナンの埋葬」を出品しようとしますが、認めらませんでした。
そこで、クールベは後援者に資金を仰ぎ、博覧会の前に小屋を建て、作品を展示し、世界で初めての「個展」を開催しました。
オルナンの食休み
1849年 クールベは「オルナンの食休み」という作品で、当時、画壇の権威となっていたドミニク・アングルとドラクロワの二人に評価され国家買い上げとなっています。
「オルナンの食休み」
(1849年)
この作品の国家買い上げにより、クルーべは、サロンでの入選を気にすることなく、展示されることとなった為、意欲的な作品を多く制作したとも言えます。
政治活動
当時のフランスは、二月革命など労働者階級による社会主義的な革命がおこり、クールベも熱烈な共和主義者でした。
社会が混乱していた状況で、クールベは反乱に参加しヴァンドーム広場の円柱を破壊した責任を問われ、逮捕され莫大な費用を支払います。
「ヴァンドーム広場の円柱を倒すクールベの風刺絵」
1873年スイスに亡命して、フランスに戻ることなく亡くなります。
「石割人夫」
(1848年)
「石割人夫」という作品は、当時の労働者の状況をありのままがえがかれており、クールベの労働者への気持ちが伺えます。
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