ゴッホは、自身も含む貧しい画家達を支援した画商ジュリアン・フランソワ・タンギー(通称タンギー爺さん)の肖像画を3点制作しています。
作品は1887年、ゴッホが34歳頃に制作されました。作品は当時ゴッホが浮世絵に傾倒していたことがわかる作品としても取り上げられる作品です。
また、モデルとなったタンギー爺さんはゴッホの他、多くの印象派やポスト印象派の画家達を支援しました。
モデルのタンギー爺さん
パリで画材屋兼画商を営んでいたジュリアン・フランソワ・タンギーは、若い頃にパリ・コミューンに参加し拘留された経験から貧しい画家達を支援していました。
彼は、絵画で画材の支払いをすることを認めたり、困っている時は画材を提供したり食事も提供したりしていたようです。
「タンギー爺さんの肖像」
(1887年)

フィンセント・ファン・ゴッホ
「タンギー爺さんの肖像」
ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館蔵
(デンマーク コペンハーゲン)
若い画家達は彼を慕って彼をタンギー爺さんと愛称でよんで彼の店に集まっていました。
ゴッホは、タンギー夫人がモデルと考えられている肖像画も制作しています。
しかし、タンギー夫人の方は、あまりゴッホのことを好ましく思っていなかったと言われています。
「女性の肖像(タンギー夫人)」
(1886-1887年)

フィンセント・ファン・ゴッホ
「女性の肖像(タンギー夫人)」
バーゼル美術館蔵(スイス バーゼル)
他2点のタンギー爺さん
「タンギー爺さん」
(1887年)

フィンセント・ファン・ゴッホ
「タンギー爺さん」
ロダン美術館蔵(フランス パリ)
「タンギー爺さん」
(1887年)

フィンセント・ファン・ゴッホ
「タンギー爺さん」
個人所蔵(スタブロス・ニアルコスコレクション)
2点目、3点目の作品の制作順は、諸説あり判明していません。
両作品とも背景に浮世絵が描かれており、ゴッホがジャポニズムの影響を強く受け傾倒していたことが分かる作品となっています。
タンギーは、ゴッホの葬儀に参列した数少ない人物で、ゴッホが死んだ後も彼の作品を店内に展示していたそうです。
3点目の「タンギー爺さん」は現在、ギリシャの海運王(スタブロス・ニアルコス)のコレクションとなっており、一般に公開はされていません。

コメント