1804年12月2日、パリのノータル=ダム大聖堂でナポレオンの載冠式が行われました。
フランス革命後の混乱をおさめたナポレオンがフランス皇帝に即位する場面です。
同年、ナポレオンから同作品の制作を依頼されたルイ・ダヴィッドは、1808年に作品を完成させ、ナポレオンから絶賛を受けます。
ジャック=ルイ・ダヴィッド
1774年、若手画家の登竜門であったローマ賞を受賞。
ローマ賞は、国費でイタリアに留学できる制度であったことから、翌1775年、イタリアに留学します。
5年間のイタリア留学で、画風は新古典主義的なものとなり、王室から注文をうけて制作した「ホラティウス兄弟の誓い」で一躍、注目を浴びます。
「ホラティウス兄弟の誓い」
(1784年)
ダヴィッドがルイ16世の注文を受け作成。一躍注目を浴びる。
1789年フランス革命が勃発すると、ダヴィッドは革命に参加、革命の主導者ロベスピエールに協力し、一時、国会議長まで務めますが、ロベスピエール失脚に伴い、彼も一時投獄されます。
ナポレオンが登場し、革命の混乱をおさめると、ナポレオンに心酔し、ナポレオンを英雄として描写した作品を制作します。
「自画像」
(1794年)
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」
(1801年)
ダヴィッドは、ナポレオンの庇護を受け主席画家に任命されています。
しかし、1815年ナポレオン失脚後、ダヴィッドも失脚しすることとなり、1816年ベルギーのブッリュセルに亡命し、そこで生涯を終えています。
作品:ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠
主席画家に任命されたダヴィッドは、入念な準備の上縦6.2m 横9.8m という大画面に歴史的瞬間を細部まで精密に描きました。
「 ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠 」
(1805年-1807年)
「ナポレオン一世の戴冠式」と呼ばれることもあります。
月桂冠をかぶり自ら冠を手に持ち、皇后に戴冠をしようとしています。当初は、後ろで座っているローマ教皇がナポレオンと皇后に戴冠する予定でしたが、ナポレオンが自ら戴冠しました。
この作品では、最初は、ナポレオンが自ら戴冠しようと頭上に冠をかかげているところを描いたようですが修正されました。
ナポレオンの手から戴冠されるところの皇后は当時41歳でしたが、若々しく描かれています。モデルはダヴィッドの娘と言われています。
その上で観覧席に描かれているのはナポレオンの母親です。兄弟間の争いへの抗議や君主制に反対だった母親は、式典には欠席していました。
ダヴィッドは、ナポレオンの栄光を完璧にするため、事実を変え、美化して描いています。
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