1816年 フランス海軍の軍艦メデューズ号がアフリカ西海岸のセネガル沖で座礁、多くの死者を出す事件が起きました。
船長と高級士官は救命ボートで助かりますが、147人の船員は、急ごしらえの筏に乗せられ見捨てられます。
ほとんどは、発見されるまでの13日間で亡くなり、生き残ったのは15人だけでした。
筏の上は、飢え、脱水、疫病による狂気で殺戮、食人まで起きました。
テオドール・ジェリコーは、生き残った人から聞き取りを行い、スキャンダルなこの事件を描きました。
ロマン主義のはじまり
写実性を重視し、ローマ・ギリシャ文化を規範とする新古典主義が主流だった当時、同時代に起きたスキャンダルな事件を題材に、極限状態におかれた人間の本質を描いた本作は話題を呼びます。
「メデューズ号の筏」
(1818年-1819年)

テオドール・ジェリコー
「メデューズ号の筏」
ルーヴル美術館蔵(フランス パリ)
ナポレオンの失脚、ダーヴィッドの亡命もあり、厳格で理想的な様式な新古典主義から新たな様式が求められていたなか、ジェリコーは心理や狂気といった人間の内に秘める世界観を描きます。
ジェリコーは、激しい筆のタッチにより調和よりも躍動感を重視、ロマン主義のはじまりと言える本作品を描きました。
死体をスケッチ
ジェリコーは、本作品の制作にあたり、生存者2二人に取材。また、筏の精密な縮尺模型を制作するなど入念な準備をします。
また、リアリティを追及の為、死体収容所て死体を写生するなどしています。
また、中央で横たわる死体のモデルを後輩画家のドラクロワが務めたとも言われています。


テオドール・ジュリコー
ジュリコーは、社会派テーマを多く描き残したロマン主義の代表的画家です。
当初は、新古典主義を学んでいましたが、当初より古代の神話や聖書の物語を描く事よりも身の回りの現実を描く事を好んでいたようです。
特に馬に強い関心をもっていたジュリコーは、多くの馬の絵を描いています。
「エプソムの競馬」
(1821年)

テオドール・ジェリコー
「エプソムの競馬」
ルーヴル美術館蔵(フランス パリ)
21歳の頃には馬を主要なモチーフとした「戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官」にてサロンで金賞を受賞しています。
「 戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官 」
(1814年)

テオドール・ジェリコー
「 戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官 」
ルーヴル美術館蔵(フランス パリ)
「テオドール・ジェリコーの肖像画」
(1816年)

アレクサンドル=マリー・コラン
「テオドール・ジェリコーの肖像画」
落馬が原因で32歳で早世していますが、ロマン主義の先駆者として、のちの画家に大きな影響を与えています。
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