印象派の代表的画家ピエール=オーギュスト・ルノワールは、まだ駆け出しのころ上流階級からの注文が来ることを期待して若い人気女優をモデルに肖像画を描いていました。
アンリオット・アンリオはそのなかの女優の一人で、ルノワールは彼女をモデルに11点の作品を制作しています。
彼女はアンリオ夫人と呼ばれていましたが生涯、結婚はしていません。21歳の時に娘ジャンヌを出産、シングルマザーとして娘を育てました。
娘のジャンヌ・アンリオも女優の道に進み、人気を得ますが、劇場の火事に巻き込まれ21歳の若さで亡くなってしまいます。
作品 アンリオ夫人の肖像
「アンリオ夫人の肖像」
(1876年)
あまり多くの色を使用せず黒い瞳と茶色の髪と眉以外は明るい色のみを使用し、影もほとんど描かれていません。
夫人の顔は丁寧に描かれているものの、夫人の手元などはぼやかして描かれており、鑑賞者を見つめる夫人の顔を引き立たせる効果をもたせています。
ルノワールは、自身が描いた多くの肖像画の中でも、本作品を気に入っていたと言われています。
作品 パリジェンヌ(青衣の女)
アンリオ夫人をモデルにした作品を第一回印象派展に出展しています。
作品「パリジェンヌ(青衣の女)」はまだ女優駆け出しのころのアンリオ夫人をモデルに描かれています。
当初は、作品の左上に戸口と右上にカーテンが描かていましたがルノワール本人が展覧会出展前に塗りつぶしました。
スカートの下の影だけで奥行きを表現しており、ベラスケスやマネの影響ともみられています。
「パリジェンヌ(青衣の女)」
(1874年)
画家のポール・シニャックは本作品を「色の使い方が実に見事で、その上単純で美しい」と絶賛しています。
作品 青い帽子の少女
ルノワールがアンリオ夫人の娘ジャンヌが幼いころにモデルとして描いた作品です。
「青い帽子の少女」
(1881年)
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