印象派の初期のころ経済的な面でも印象派の画家達を支えたフレディリック・バジールをその後、画家として成功するルノワールが描いた作品です。
裕福な家庭の出身のバジールは、まだ画家としての生活がままならず、経済的にも厳しかった印象派の画家達を助けていました。
本作品はバジールがルノワールに共同のアトリエとして借りた場所で、作品制作にはげむバジールをルノワールが描写しています。
作品中でバジールがカンバスに描いている作品も実在しており、同じく印象派のシスレーが別角度から同じ物を描いた作品もあり、本作品「バジールの肖像」は当時の画家達の関係も知ることができる資料としても貴重です。
本作品は「イーゼルで絵を描くフレデリック・バジール」とも呼ばれています。
作品 バジールの肖像
本作品はバジールが作品「あおさぎ」を制作しているところを描いています。
「バジールの肖像」
(1867年)
下記が作品中でバジールが制作している作品「あおさぎ」です。
「あおさぎ」
(1867年)
バジールとルノワールの共同アトリエには印象派の仲間であるモネやシスレーも訪れており、シスレーは「あおさぎ」を違う角度から描いた作品をのこしています。
「翼を広げたあおさぎ」
(1867年)
本作品でバジールの背後にある雪景色の作品はモネの「サン・シメオン農場への道、冬」であることが分かっています。
「サン・シメオン農場への道 冬」
(1867年)
印象派の画家達を支えたバジールですが、1870年におきた普仏戦争で戦死してしまいます。
本作品は印象派の画家達に尊敬されていたエドゥアール・マネの手元におかれていましたが、第二回印象派展でルノワールが友情の証としてマネより借りうけ展示しています。
バジールの父親は本作品を譲り受けることを懇願し、バジールが生前購入していたモネの「庭の中の女たち」と交換することで、本作品「バジールの肖像」を譲り受けています。
「庭の中の女たち」
(1867年)
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