フィンセント・ファン・ゴッホの作品の中でも有名な「医師ガシェの肖像」。作品は2点制作され一点はオルセー美術館に所蔵されていますがもう1点は所在不明となっています。
精神科医のガシェはゴッホの主治医として診察するとともに交友を深めます。
関係は良好だったようで、ゴッホは彼の肖像のほか彼の娘をモデルに作品を制作しています。
また、ガシェはアマチュア画家であるとともに美術愛好家でゴッホの他、セザンヌ、ルノワール、ピサロなどとも交友関係をもっていました。
医師ガシェの肖像
フィンセント・ファン・ゴッホは、自身の主治医のポール・ガシェの肖像を2点制作しています。
「医師ガシェの肖像」(第1バージョン)
(1890年)
第1バージョンとされる上記の作品は、1990年日本の大昭和製紙の会長が落札(当時のレートで124億5千万円)して日本にあったのですが、1997年に売却され海外の個人が落札しました。
その後、2007年にオークションに出品され個人が落札した後の行方は不明となっています。
1911年~1933年までコレクションされ展示していたドイツのフランクフルトのシュテーデル美術館は作品を飾っていた額縁を現在も展示しているそうです。
「医師ガシェの肖像」(第2バージョン)
(1890年)
第2バージョンとされる作品は、ゴッホがガシェに寄贈したもので、ガシェの死後に遺族が他の印象派画家の作品とともにフランス政府に寄付し、現在オルセー美術館に所蔵されています。
ガシェの娘や庭を描いた作品
ガシェは、よくゴッホを家に招いていたことから、ゴッホは彼の娘や庭を描いた作品をのこしています。
「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」
(1890年)
「庭のマルグリット・ガシェ」
(1890年)
ガシェは、娘のマルグリットがモデルをすることを許していませんでしたが、マルグリットがゴッホのモデルを快諾したことから2人の関係を心配したようです。
マルグリット自身もゴッホに好意を持っていたようですが、ガシェはゴッホに関係を持たないことを頼んだと言われており、ゴッホの自殺の一因とも言われています。
「オーヴェルのガシェ医師の庭」
(1890年)
ガシェがゴッホを診察したのは、2ヵ月ほどしかありませんでしたが、その間ゴッホは80点ほど作品を制作しています。
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