ポスト印象派の代表的な画家の一人のポール・ゴーギャン。
当初は、株式仲買人として働くかたわら趣味として絵を描いていましたが、1882年、パリの株式市場の大暴落により、本業も振るわなくなったのを機に専業画家への道を歩むことになります。
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クロワゾニスムって何?
印象派は、光の表現として細かく色彩を分割する手法や多くの色の点で表現(点描)する手法を用いるのに対して、クロワゾニスムは、強く太い輪郭により対象物の形態を捉え、その対象物に単色で色を付けるという手法です。
ルネサンス期より重要視されてきた「遠近法」と「色彩のグラデーション」を省いた手法で二次元性が強調された印象を受けます。
(当時、「ジャポニズム」として流行したいた浮世絵の影響も感じられます。)
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ポール・ゴーギャン
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「草地のブルターニュの女たち」
エミール・ベルナール
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「日傘をさすブルターニュの女たち」
エミール・ベルナール
印象派が、対象とした陽光や風景、人物の印象、感覚を忠実に表現しようとしたのに対して
さらに、思想的、哲学的な精神的な表現を織り込もうとした試みのようです。
ゴーギャンは、当初、印象派の画法にて作品を発表しますが、徐々にクロワゾニスムの
手法が取り入れられていきました。
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印象派時代の作品
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「水浴するブルターニュの少年」
クロワゾニスムへの過渡期と言われる作品
何故、南国タヒチへ
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産業革命後、急速に近代化が進むヨーロッパからの逃避、そしてジャポニズムのような
異国文化への憧れもあり、彼はヨーロッパを離れることを決意します。
行先は、「素朴でより純粋な生活ができる楽園」として南太平洋のフランス領タヒチ島を選びました。
ゴーギャンは、画家になる前に、証券マンとして働いていましたが、証券マン以前は、商船の水夫として世界中を航海、その後、フランス海軍に2年間勤めていることも少なからず影響していると思います。
1891年~1893年の2年間滞在後、一度、フランスへ戻り、1895年にタヒチに戻っています。
(フランス帰国後の1888年、南仏アルルにてゴッホと約2か月の共同生活をしています。)
名作の多くが1891年~1893年のタヒチ滞在期の作品と言われています。
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「ヴァヒネ・ノ・テ・ティアレ
(花を持つ女)」
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「イア・オラナ・マリア
(我マリアを拝する)」
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「ファタタ・テ・ミティ(海辺で)」
遺書的作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
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ゴーギャン本人が最高傑作と認め、彼の代表作とされるこの絵は、
彼の精神世界を表していると言われています。
①:右から左へ3つの人物像がえがかれており、右側の赤ん坊が「人生の始まり」
中央の果実をとる人物は「成年期」、左側の老婆は「人間の死」を表現したとされています。
②:左下の白い鳥は、「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャンが書き記しています。
彼は、最愛の娘の死亡、自身の健康状態の悪化など失意のなかにあるなかこの絵を完成させ
完成後、服毒自殺(未遂)を図っています。
1901年、ゴーギャンはより素朴な環境を求めマルキーズ諸島、ヒバ・オア島へ移り住みますが
健康悪化がすすみ、そこで死去します。
(ヒバ・オア島:タヒチ島から北東約1,500kmの火山島)
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