新印象派の画家で、ジョルジュ・スーラとともに点描描写を確立、スーラの死後、さらに点描描写を発展させた画家です。
社交的であったシニャックは、トラブルが多かったゴッホとも友人関係を保ち、ゴッホの耳切り事件の後にアルルに見舞いにも訪れています。
画家の多くもシニャックのもとを訪れ、印象派後の画家達にも影響を与えました。
セーリングが趣味であったことから、ヨットでヨーロッパ各地の海岸を航行しながら海岸風景をスケッチし、作品制作を行ったため海岸の風景画が多いのも特徴です。
ポール・シニャック
スーラ作の「ポール・シニャックの肖像」
(1890年)
もともと建築を学んでいたシニャックですが、モネの作品を鑑賞して画家の道を志したそうです。
スーラと出会ったことで、スーラの描写方法や色彩理論に心を打たれ、シニャックも点描描写での作品制作を行います。
スーラの代表作:「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
(1884-1886年)
モネやルノワールの印象派画家が確立した色を混ぜ合わせない画法を更に進めて点の集合で作品を制作する点描描写は、印象派の画家達にはあまり受け入れらなかったようです。
印象派の年長者のピサロは、スーラやシニャックの作品を支持し、2人に印象発展への出品を促します。
第8回印象派展にスーラとシニャックが出展しますが、モネやルノワールは反発してしまい、第8回印象派展が最後の印象派展となってしまいました。
スーラが短命だったこともあり、シニャックが点描描写を発展させ、その後の近代絵画へ影響を与えました。
「七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像 」
(1890年)
セーリングと作品
シニャックは、セーリングが趣味で小さな船でフランスをはじめヨーロッパ各地の海岸へ航行しスケッチをしました。
スーラの死後、モネの暖色による描写を取り入れるとともに、点描も点から小さなモザイク状の四角で描写するように変化していきます。
「サン=トロぺの港」
(1901年)
点の集合による色彩の描写から、個々の色彩の特徴とそれらの対比を強調するようになり、その後の近代絵画フォービズムへの転換点ともされています。
「ロッテルダムの港」
(1907年)
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