印象派のルノワールが、イタリア旅行でラファエロ・サンティの作品と出会い、印象派から新古典主義的な作風へ転向しようと試みていた時代に描いた作品3作です。
3作のモデルのうち、1作は後の妻となるアリーヌ・シャリゴ、2作は画家としても活躍するシュザンヌ・ヴァラドンです。
当時、ルノワールは2人と同時に交際していたようです。
古典主義への回帰
1881年、ルノワールは突如、イタリアへ旅立ちます。
印象派のルノワールは、ラファエロを模範とする当時のアカディミズムな美術界に批判的で、光の描写や、色彩を重視していました。
その為、ローマへラファエロの作品を鑑賞しに行く際も少し冷やかしの気持ちがあったようです。
しかし、ローマでラファエロの作品を鑑賞した際は、非常に感動しその後、古典主義的な作風への転換を試みます。
「ガラテアの勝利」
(1512年)
ルノワールは、特にラファエロの「ガラテアの勝利」に、感銘をうけたと言われています。
ブージヴァルのダンス
ダンス3部作は、ルノワールが古典へ回帰を試みた、最初の作品と言われています。
「ブージヴァルのダンス」
(1883年)
ブージヴァルとはパリ近郊の行楽地です。
モデルは、女性はシュザンヌ・ヴァラドン、男性は、友人の画家です。
床に青紫のスミレの花束とタバコの吸い殻、マッチ棒が描かれています。
女性と男性の対比の表現と言われています。
都会のダンス
モデルは、「ブージヴァルのダンス」と同じ2人ですが、女性はシルクのドレスで着飾り、フォーマルな様相です。
「都会のダンス」
(1883年)
女性のモデルとなったシュザンヌ・ヴァラドンはこの3部作の制作年の1883年12月に男子を生んでいますが、父親が不明なことからルノワールの子供という説があります。
田舎のダンス
「田舎のダンス」
(1883年)
モデルの女性は、後の妻となるアリーヌ・シャリゴです。
男性は、他の2作と同じ友人の画家です。
他の2作と比べると明るく、陽気な感じの作風です。
「都会のダンス」と「田舎のダンス」はオルセー美術館に所蔵されていますが、並べて展示してあります。
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